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1770年9月17日(明和七年七月二十八日)の低緯度オーロラは、近世の記録のなかで特筆すべきものといえましょう。約40種の書物にその記録が残されており、北は北海道から、南は九州の肥前(佐賀・長崎)にまでわたって現れました。観測史上最大といわれる1958年2月11日の低緯度オーロラをしのぐものであったと思われます。
・東北大学図書館狩野文庫蔵書の「星解」には、「明和七年七月二十八日 夜紅気弥北天子刻正見図」という写生図があり、オーロラは朱色で放射状に描かれています。
・「続史愚抄」によれば、北西より北東の空に「赤気」が現れ、闇夜にもかかわらず人の顔が分かった。その色は火のようであり、午後10時頃には白い筋が数本(「白気数條」)北から南へ延びていた。白い筋はすぐに消えたが、赤気は夜明けまで見えていた、とあります。
・「越後年代記」には、「北方赤きこと如火、其中に白蛇の様をなすもの現れ、南北になびくこと五十余筋。」と記されています。また「佐渡年代記」は、外海府で大火事が起きたのではないかと伝えています。
このように、この史料は、強烈な印象をもって肉眼に見える暗赤色のなかに、その最盛期にははっきりした形で垂直な白っぽく見える縞模様(光の柱)が現れる、といった低緯度オーロラの特徴をよく表わしているといえます。特に「越後年代記」の記述は、「白蛇」や「南北になびく」といった、極地のオーロラを連想させる描写であり、実に興味深いところです。実際、1989年10月21日の低緯度オーロラを目撃し、写真撮影に成功された北海道陸別町の津田浩之氏によれば、「あわい赤色の光がゆらめくろうそくの光のように見え、その動きは極地オーロラを思わせるものだった。」といいます。
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