新潟でもオーロラが見えた!?

“低緯度オーロラ”とは?  
 
11年周期と言われる太陽活動の活発な時期には、日本のような緯度の低い地域でもしばしばオーロラが観測されることがあります。これは北の空が暗赤色に染まる巨大な幕のようなオーロラで、事実、'89年10月21日の「低緯度オーロラ」は北海道や東北地方に出現し、新潟市でも肉眼では見えなかったものの、新潟大学により写真撮影、分光観測がなされました。
'58年(昭和33年)2月11日のオーロラ  
 
今から50年以上前の '58年(昭和33年)2月11日のオーロラはたいへん規模が大きく、広範囲で天候に恵まれていたためよく見えました。北海道をはじめ、東北、北陸、中部(長野)、関東の各地で観測が報告されています。朝日新聞と信濃毎日新聞は、それぞれ秋田市と長野市内で撮影したオーロラの写真(もちろん白黒)を掲載し、読売新聞は、新潟大学の光学観測の様子を載せています。また新潟日報は、日本海の北方海上の空に赤く輝く”異常現象”を発見し、火事ではないかと第九管区海上保安本部が巡視船を出す騒ぎとなったことを報じています。(昭和33年2月12日付 日刊)
明和七年七月二十八日の「赤気」  
 
1770年9月17日(明和七年七月二十八日)の低緯度オーロラは、近世の記録のなかで特筆すべきものといえましょう。約40種の書物にその記録が残されており、北は北海道から、南は九州の肥前(佐賀・長崎)にまでわたって現れました。観測史上最大といわれる1958年2月11日の低緯度オーロラをしのぐものであったと思われます。
・東北大学図書館狩野文庫蔵書の「星解」には、「明和七年七月二十八日 夜紅気弥北天子刻正見図」という写生図があり、オーロラは朱色で放射状に描かれています。
・「続史愚抄」によれば、北西より北東の空に「赤気」が現れ、闇夜にもかかわらず人の顔が分かった。その色は火のようであり、午後10時頃には白い筋が数本(「白気数條」)北から南へ延びていた。白い筋はすぐに消えたが、赤気は夜明けまで見えていた、とあります。
・「越後年代記」には、「北方赤きこと如火、其中に白蛇の様をなすもの現れ、南北になびくこと五十余筋。」と記されています。また「佐渡年代記」は、外海府で大火事が起きたのではないかと伝えています。

このように、この史料は、強烈な印象をもって肉眼に見える暗赤色のなかに、その最盛期にははっきりした形で垂直な白っぽく見える縞模様(光の柱)が現れる、といった低緯度オーロラの特徴をよく表わしているといえます。特に「越後年代記」の記述は、「白蛇」や「南北になびく」といった、極地のオーロラを連想させる描写であり、実に興味深いところです。実際、1989年10月21日の低緯度オーロラを目撃し、写真撮影に成功された北海道陸別町の津田浩之氏によれば、「あわい赤色の光がゆらめくろうそくの光のように見え、その動きは極地オーロラを思わせるものだった。」といいます。
<日本国内で観測されたオーロラ・赤気の記録>
homepage2.nifty.com/nakazawa-yoh/aurora.html
日本における低緯度オーロラの記録について(中沢 陽)
  <天文月報 1999年2月号(日本天文学会)掲載>
www.makiko-doso.jp/tenmon/vol10.html
藤原定家が見た「赤気」
www.library.tohoku.ac.jp/kikaku/spec1/doc/bkaisetu.html
東北大学附属図書館所蔵 狩野文庫