日本における低緯度オーロラの記録について

 

 

元 新潟県立自然科学館 自然・天文課 中沢 陽

( E-mail は こちらへ どうぞ )

 

 

低緯度オーロラは、古い史書にも「赤気」としてしばしば登場するが、これまでの観測から、磁気嵐の際かなり頻繁に起きており、それが非常にまれな現象として考えられてきたのは、単に光の強さが弱くて肉眼で見えないためである、ということがわかってきた。しかも、低緯度磁気圏にこのオーロラを引き起こすメカニズムが存在することを示唆しており、こうした地球磁気圏の解明は、宇宙時代としての21世紀に不可欠なものである。

 

 

☆[お知らせ]☆

まもなく、このWeb ページを終了致します。長い間ご覧いただき、誠にありがとうございました。今後は、「天文月報」のページ(以下の リンク集 参照)をご覧ください。

* 目 次 *

  1 はじめに

  2 日本の史書における「赤気」の記録

  3 明治・大正・昭和期に観測された「極光」

  4 第22太陽周期における低緯度オーロラ

  5 これからの期待

  <参考文献>

  <abstract>(英文)


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  [リンク集]

  ・オーロラと低緯度オーロラの解説 ( 名古屋大学 宇宙地球環境研究所 塩川教授 )

  ・北海道での低緯度オーロラ観測 ( 名古屋大学 宇宙地球環境研究所 )

  *「日本における低緯度オーロラの記録について」( 中沢 陽 )
  ( 天文月報 1999年 2月号 天球儀 P.94-101:日本天文学会 )[ PDF版, 1999. ]

  *Nakazawa, Y., T. Okada, and K. Shiokawa,
  Understanding the “SEKKI” phenomena in Japanese historical literatures
  based on the modern science of low-latitude aurora,
  Earth, Planets and Space, Vol. 56 (No. 12), pp. e41-e44, 2004.

  *「日本でも見えた大オーロラ」〜 古文書に残る「赤気」現象の解明 〜( 中沢 陽 )[ PDF版, 2005. ]

  *「宮澤賢治と超高層大気光」( 中沢 陽 )
  ( 物理教育 1989年 第37巻 第1号 P.50:日本物理教育学会 )

  *「藤原定家が見たオーロラ」〜 天文コラム「星空のかなたに」〜( 中沢 陽 )

  ・AOGS - Asia Oceania Geosciences Society ( 2 to 7 August 2015, Singapore )
  ST21-32 - History and Development of Solar Terrestrial Sciences Including Auroral Sub-Storms
  7.ST21-32-D3-AM1-323-007 (ST21-32-A018) : Historical Low-Latitude Auroras Observed in Japan

  ・ようこそ !! “低緯度オーロラ”と“星”のページへ ( 中沢 陽 )


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1 はじめに

 太陽活動の活発な時期には、日本のような低緯度地帯でもしばしばオーロラが観測されることがある。これは、北の空が暗赤色に染まる巨大な幕のようなオーロラである。事実、1989年10月21日の「低緯度オーロラ」は、北海道や東北地方に出現し、新潟市でも肉眼では見えなかったものの、新潟大学のチームにより写真撮影、分光観測がなされた。 1) 2)

 このように、日本は地磁気的に低緯度オーロラ出現の南限界に近く、太陽活動に伴うオーロラの消長をとらえ得る重要な位置にあるといってよい。

 オーロラをふくむ大気光の組織的観測は、1957年の国際地球観測年(IGY)以降可能となったが、低緯度オーロラの研究は、観測事例も決して十分とは言えず、その発生のメカニズムなど不明な点も少なくない。

 本稿では、古い史書に登場する「赤気(せっき)」から、現代の光学観測の結果にいたるまで、日本における低緯度オーロラの記録をたどることで、この”日本でも見える赤いオーロラ”について考えてみたい。

 

 

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2 日本の史書における「赤気」の記録

 

 史料の整理にあたり、日本における古来の天象記録を収集した、次の3)〜6)を参照した。

3)日本天文史料 1935 神田 茂 編 (復刻 1978 原書房)

4)明治前日本天文学史 1960 日本学士院 編 日本学術振興会刊 (井上書店復刻)

5)近世日本天文資料 1994 大崎 正次 編 (原書房)

 史記のなかでは、低緯度オーロラについて、多くは「赤気」、ときには「紅気」という言葉などで表されているが、なかには他の現象と思われるものもある。そこで上記の5)においては、気象関係の詳細な資料集である、

6)日本の気象資料 2、3 1941 中央気象台・海洋気象台 編 (復刻 1976 原書房)

から特に目立ったもののみを選んで記載しておりそれだけに確実性が高いと考えられる。

 なお、「赤気」の主な記録については、すでに

7)神田 茂 1933「本邦に於ける極光の記録」 天文月報 26巻 P204

のなかで史記の原文と共に、最初の記録として有名な、日本書紀に残された2つのもの:

620年12月30日 (推古天皇二十八年 十二月朔日)

682年9月18日 (天武天皇十一年 八月十一日)

を含めた、27個の記録が整理されている。神田氏によるこの報告が、この種の最初のものであろう。(図1)

 

<図1> 神田 「本邦に於ける極光の記録」 天文月報(第二十六巻 第十一号)から

 

 神田氏はそれぞれの月別発現頻度を概観し、春および秋に二つの極大があり、初夏が最も少なく、これは一般に外国における傾向と良く一致することを述べられている。

 その他には、

8)竹内 時男 1938 「本邦に於ける極光観察統計」 東京工業大学々報 7巻 P509

9)武者 金吉 1939 「本邦極光資料」天気と気候 6巻 P334

10)田口 龍男 1939 「日本の歴史時代の気候について 調査四 極光資料」日本の気象資料3:上記6)に附記

などがある。

 8)の竹内氏は38個の史料について、時間別、月別発現頻度を統計し、発現には50年前後の周期らしきものを認めると注意されている。

 9)の武者氏は、11個の史料を紹介し、そのうちの大部分のものは、太陽黒点極大期かまたはその付近で起きていることに注目されている。

 10)の田口氏は、47個の史料を簡潔な表にまとめ、月別発生頻度および発現間隔年頻度の概要を記されている。また、朝鮮の赤気史料とを対比してみて、年月日の符合するものがほとんどないことを指摘されている。田口氏によれば、「この事は、極光の観望地域が可なりな広がりを持つものかと想像した筆者には、いささか奇異とも感ぜられる節である。」 これに関しては、若干の補足をしたい。上記の3)に記載されている古代の日本の赤気史料と、

11)斎藤 国治 小沢 賢二 1992 古代中国の天文記録の検証 (雄山閣出版)

に記載されている古代中国の赤気史料とも年月日の符合するものはやはりないようである。しかし、4)および5)によれば、近世の記録のなかには何例か、中国や他の地域の記録と一致するものがあるということである。

 ここでは、上記の 7)と 10)のなかで確度が「甲」と判断された記録、すなわち「確かに極光の記録と思はれるもの」、および中国や他の地域にも赤気の記録が残されているものを、明治前まで表1のように簡潔にまとめた。まとめ方に関しては、上記の4編の報告を参考にし、かつ備考欄に太陽活動状況を加えた。 西暦(ユリウス暦またはグレゴリオ暦)への変換の確認は、

12)内田 正男 編著 1988 日本暦日原典 (雄山閣出版)

を参照した。なおユリウス暦の1582年10月4日(木)の翌日をグレゴリオ暦で10月15日(金)と定めているので、それ以後はグレゴリオ暦である。

 また、太陽の活動状況に関しては、

13)理科年表 1993 国立天文台 編(丸善)P111

14)理科年表 1998 国立天文台 編(丸善)P113

に拠るものとする。

 

<表1> 日本の史書にみる「赤気」の記録 一覧表

<西 暦>

<時 刻>

<観測地>

<記 載>

<方 角>

<備 考>
(太陽活動状況など)

1150年
8月12日

京都

赤気

北、北東

 

1150年
10月8日

寅刻(4時)

京都

赤気

北、西

 

1202年
12月19日

戌刻(20時)

京都

赤気

------

 

1204年
2月21日

戌刻(20時)

京都

赤気

北、北東

同日、中国に太陽黒点の記録がある。7)

1247年
8月10日

亥刻(22時)

京都

赤気

 

1363年
7月30日

京都

赤気

北、北東

同日、中国に極光の記録と思われるものがある。7)

1370年
10月27日

戌刻(20時)

京都

赤気

同月、中国に太陽黒点の記録がある。7)

1370年
11月25日

子丑寅刻
(0 〜 4時)

京都

赤気

同月、中国に太陽黒点の記録がある。7)

1371年
10月

京都

赤気

同月、中国に太陽黒点の記録がある。7)

1653年
3月2日

------

江戸近国

赤白気

------

同日、中国 に極光の記録がある。5)

1672年
9月17日

------

京都

天赤

------

同日付近に中国に極光の記録がある。5)

1730年
2月15日

加賀国
(氷見)

紅気
(海火事)

西北−東北

同日、中国や欧州にて低緯度地方で極光がみえた。4) 5)

太陽黒点極大:1727.5年
13)

1770年
9月17日
 〜 18日

諸国

赤気

北西−北東

「星解」に写生図あり。4)5)6)7)

太陽黒点極大:1769年9月
14)

1770年
9月25日

亥刻(22時)

京都

赤気

西

同月、中国にも極光記録が多数ある。
5)

1781年
1月6日

酉 〜 戌刻
(18〜20時)

下總国

赤気

北、北西

太陽黒点極大:1778年5月
14)

1859年
9月2日

夜六ツ時
 〜 夜半
(19〜 0時)

紀伊

赤気

同日、中国そしてキューバ、ジャマイカ、ハワイ等の低緯度の土地及び南半球でも極光が認められている。4) 5)

太陽黒点極大:1860年2月
14)

 

 さらに、これらの記録のいくつかについて解説するならば

1150年8月12日と10月8日(久安六年七月十八日、九月十六日)の記録の間隔は、太陽自転の2回転分にあたる。

1204年2月21日(元久元年正月十九日)のものは、おうし座超新星の古記録を記したことでも有名な藤原定家が、やはり「明月記」のなかで次のように記している。

「・・白光赤光相交奇而尚可奇 可恐々々」 15)

 当時の人々が、その色合いや様相などから不吉な前兆として恐れていたことがうかがえる。

1370年10月27日と11月24日(建徳元年十月八日、 十一月七日)の記録の間隔は、太陽自転の1回転分にあたる。

1770年9月17日(明和七年七月二十八日)のものは、近世の記録のなかで特筆すべきものである。約40種の書物にその記録が残されており、北は北海道から、南は九州の肥前(佐賀・長崎)にまでわたって現れたのである。4)

 観測史上最大といわれる1958年2月11日の低緯度オーロラをしのぐものであったと思われる。同日付近の太陽表面の様子は、現在調査中であるが、その前年の1769年(明和六年)に、麻田剛立 (1734〜1799 日本)が手製の望遠鏡で日本で初めて黒点連続観測を行い、約30日周期の見かけの移動を見出していることを附記しておきたい。16)

 東北大学図書館狩野文庫蔵書の「星解」には、「明和七年七月二十八日 夜紅気弥北天子刻正見図」という写生図があり、オーロラは朱色で放射状に描かれている。 4) 5) 6) 7)

 「続史愚抄」によれば、北西より北東の空に赤気が現れ、闇夜にもかかわらず人の顔が分かった。その色は火のようであり、午後10時頃には白い筋が数本(「白気数條」)北から南へ延びていた。白い筋はすぐに消えたが、赤気は夜明けまで見えていた、とある。17)

 「越後年代記」には、「北方赤きこと如火、其中に白蛇の様をなすもの現れ、南北になびくこと五十余筋。」と記されている。  18)

 「佐渡年代記」は、外海府で大火事が起きたのではないかと伝えている。19) 20)

 このように、この史料は、強烈な印象をもって肉眼に見える暗赤色のなかに、その最盛期にははっきりした形で垂直な白っぽく見える縞模様(光の柱)が現れる、といった低緯度オーロラの特徴をよく表わしているといえる。特に「越後年代記」の記述は、「白蛇」や「南北になびく」といった極地オーロラを連想させる描写であり、実に興味深いところだ。実際、1989年10月21日の低緯度オーロラを目撃し、写真撮影に成功された北海道陸別町の津田浩之氏(りくべつ宇宙地球科学館:銀河の森天文台)によれば、「あわい赤色の光がゆらめくろうそくの光のように見え、その動きは極地オーロラを思わせるものだった。」という。

 以上のように、赤気史料は大型の可視低緯度オーロラの記録として重要であり、そうした眼視観測で得られた低緯度オーロラの出現状況を知る手がかりとなる。またさらには、確実性の高い史料からは、逆に当時の太陽の活動状況をおおよそ知ることも可能であろう。

 本章で取り上げた赤気史料は全体のごく一部である。詳細については、本文中に記載した書籍、および報告を参照されたい。なお、これらはすべて図書館等で閲覧できる。

 [追記]
 「星解」中の「夜紅気弥北天子刻正見図」は、「オーロラ〜太陽からのメッセージ〜」(上出洋介著 山と渓谷社)P124に掲載されている。

 

 

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3 明治・大正・昭和期に観測された「極光」

 

(1)国際地球観測年(IGY)以前の、可視低緯度オーロラの記録を整理すれば、表2のようになる。なお、明治期から「赤気」ではなく、「極光」、「オーロラ」という言葉が使われるようになった。資料の整理にあたり、文献 4)P482 および 6)、7)、8)、9)、10)、21) を参照した。

 

<表2> 明治から昭和30年までに日本で見られた低緯度オーロラの記録

<西 暦>

(日本暦)

<時 刻>

<観測地>

<記 載>

<方 角>

<備 考>
(太陽活動状況など)

1872年
2月4日、6日
(明治4年
12月26、28日)


午前2時頃

島根県
(中国地方)

北光
極光

北西
北東

太陽黒点極大:1870年8月 (太陽周期:11)
14)

1909年
9月25日
 〜 26日
(明治42年)

午前1時半頃

北海道、
東北、北陸
広島、松山

極光、
オーロラ

北海道函館付近の海上での報告が天文月報第21巻 P132に記載。7)

当時の新聞に記載。21)

太陽黒点極大:1906年2月 (太陽周期:14)
14)

1926年
11月21日
(大正15年)

16時 〜
17時過ぎ

小樽

極光
(放射状)

北東

小樽市郊外からの写生図あり。7)

1928年
10月18日
(昭和3年)

20時 〜
22時30分

札幌

極光
(弧状)

札幌市郊外からの写生図あり。7)

太陽黒点極大:1928年4月 (太陽周期:16)
14)

1938年
1月22日
(昭和13年)

18時30分

北海道 、
樺太、宮古

極光
(大火状、 幕状)

 

太陽黒点極大:1937年4月 (太陽周期:17)
14)

1938年
1月26日
(昭和13年)

2時30分

安別

極光

 

 

 

(2)1957年3月に極大を記録した第19太陽周期中に、日本国内(北海道)で低緯度オーロラが確認された日付は次のとおりである。(女満別での報告より)

 なお、気象庁では国際地球観測年にあたり、1958年2月1日からオーロラ観測を各地の測候所に指令していた。(正式な観測は7月1日から実施)

 

----------------------------------------------------

@ 1957年(昭和32年):3月2日、 7月5日、6日、 9月13日、21日

A 1958年(昭和33年):2月11日

B 1960年(昭和35年):3月30日

C 1960年(昭和35年):4月30日(not visual)

D 1960年(昭和35年):11月13日

----------------------------------------------------

 

 Aのオーロラは大規模であり、広範囲で天候に恵まれていたためよく見えた。北海道をはじめ、東北、北陸、中部(長野)、関東の各地で観測が報告されている。朝日新聞と信濃毎日新聞は、それぞれ秋田市と長野市内で撮影したオーロラの写真(もちろん白黒)を掲載し、読売新聞は、新潟大学の分光観測の様子を載せている。また新潟日報は、日本海の北方海上の空に赤く輝く”異常現象”を発見し、火事ではないかと第九管区海上保安本部が巡視船を出す騒ぎとなったことを報じている。さらにこの日、地球上の広範囲にわたって無線通信障害が起き、欧州では久しぶりに見事なオーロラが現れたという。22)、23)、24)

 女満別では18:00過ぎに現れ、18:30頃には各地で観測報告がなされた。活動がさかんだったのは、19:30 〜19:50(最強)と21:10〜21:30の2回であり、その後しだいに減衰し22:30頃には消えた。25)

 赤色の弧状オーロラで、一部では線状構造があり、また脈動を伴っているのが観測された。当時の朝日新聞ジュニア版に掲載された、高校生による旭川市でのスケッチによれば、最盛時には、赤やオレンジの光の中に黄色い帯状の模様(光の柱)を認め、はっきりしなかったがカーテンのひだの様な感じにも見えたとある。この光の色彩に関しては、光の柱が本来もっている青色と緑色の光と、背景の赤色の光とが混合したことによる。26) 史記に記載された「白気」とは、この色彩のことと思われる。ここで、赤(630.0 ,636.4 nm ナノメートル)や緑(557.7nm)は酸素原子(O)の、青(391.4 ,427.8nm)は窒素分子イオン(N2+)の発光スペクトルであり、オーロラを代表する色である。特に、赤色は低緯度オーロラの主役である。

 さらにオーロラは磁気嵐の主相と一致し、女満別の磁力計によれば、オーロラの最盛時の活動と磁場の変化とが一致することが確認された。(磁気嵐の大きさ* は、600nT ナノテスラ) 25)、26)

 なお、A、C、Dについては次の報告に詳しい。

 25) Kakioka Magnetic Observatory 1969 " REPORT OF THE AURORAS OBSERVED AT MEMAMBETSU THROUGH 1958 AND 1960 " REPORT OF THE GEOMAGNETIC AND GEOELECTRIC OBSERVATIONS,1967 No.8 P109-130

 またDの時、南極観測船宗谷が赤道地帯で、強化した630nmの赤い光を捉えたという報告がある。27)
そしてこの日、歴史的な大規模磁気嵐が起きていることも附記しておきたい。28)

* 磁気嵐の大きさ:地磁気水平成分(H-component)の maximum decrease を示す。

 

 

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4 第22太陽周期における低緯度オーロラ

 

 1989年(平成元年)10月21日午後8時35分頃、北海道と東北地方に可視低緯度オーロラが確認された。北海道では29年ぶり、本州では31年ぶりの出現であった。

 1989年10月19日21時29分(JST)に、太陽面の黒点群上で、X13.0クラス 重要度4bのフレアが発生し、これが21日のオーロラの引き金になった。(写真1)

 

<写真1> 1989年10月20日の太陽表面の様子

中央やや右下の黒点群で19日大フレアが発生し、21日のオーロラの引き金になった。
(撮影:新潟県立自然科学館)

 

 第22太陽周期(極大:89年7月)に、日本国内での観測が報告された低緯度オーロラをまとめたものを表3に示す。a)から j)までが確認されている。a)以外は北海道内のみで観測され、a)、b)、c)が可視(visual)である。なお、a)のなかで、新潟は肉眼では見えなかった。 1)、2)、28)、29)、30)、31)

 

<表3> 第22太陽周期に日本国内で観測された低緯度オーロラ

観測日時
(日本時間)

磁気嵐の大きさ

a) 1989.10.21
20:35 〜 21:40
23:10 〜 23:25


290 nT


北海道各地、福島、新潟
稚内、北見

b) 1989.11.18
1:42 〜 1:59


230 nT


女満別

c) 1990. 3.30
21:05 〜 21:30


190 nT


稚内

d) 1991. 6. 5
23:23 〜 23:35


240 nT


陸別

e) 1991.10.29
21:00 〜 23:55


240 nT


陸別

f) 1992. 2. 9
22:53 〜 23:51


180 nT


陸別

g) 1992. 2.27
3:36 〜 4:38
19:57 〜 21:16


150 nT


母子里
母子里

h) 1992. 3. 1
0:57 〜 2:17


80 nT


母子里

i) 1992. 5.10
20:46 〜 22:30
21:10 〜 21:20


270 nT


女満別
陸別

j) 1993. 9.13
19:22 〜 (1hr)


〜100 nT


陸別

* 磁気嵐の大きさ:地磁気水平成分(H-component)の maximum decrease を示す。

 

 これまでの観測から、磁気緯度の低い日本においても、磁気嵐の際かなり頻繁に低緯度オーロラが起きており、これまでそれが非常にまれな現象として考えられてきたのは単に光の強さが弱くて肉眼で見えないためである、ということがわかってきた。  29)、32)

 さらに、人工衛星DMSPで地上と同時に観測された粒子データから、通常のオーロラ帯よりも低い磁気緯度帯(50-60度)に、通常時にはみられない、広いエネルギー範囲 (30eV-30000eV:電子ボルト)の電子の非常に強い降り込みがあり、低緯度オーロラを引き起こしたことが新たに解明された。33) このとき北海道から北の空を見れば、低い高度で光っている緑の光は地平線に隠れて見えず、赤い光だけが北の空に大きく広がることになる。(図2) そして磁気圏内部では、通常のオーロラ帯のオーロラ電子の源よりもかなり内側(地球に近い側)で、低緯度オーロラ電子の急激な加速または加熱が起こり、磁力線に沿って地球に降り注ぐと考えられる。(図3) 34)

 

<図2>  <図3>

図2:低緯度オーロラと観測点の位置関係
図3:低緯度オーロラを起こしているオーロラ電子の源の位置
(図2および3:名古屋大学太陽地球環境研究所 塩川和夫氏 提供)

 

 

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5 これからの期待

 

 太陽活動は、予想される西暦2000年の極大に向けて明らかに活発化している。35)

 日本でも大規模な低緯度オーロラの出現する可能性が高まっている。ハイテクを駆使した、地上と宇宙からの様々な観測が実施されるだろう。それによって低緯度オーロラの発生メカニズムが明らかにされ、さらには宇宙時代としての21世紀に不可欠な、地球磁気圏の解明も進むに違いない。

 このささやかなレポートが、オーロラに興味を持たれる多くの天文愛好家の方々の一助となれば幸いである。また筆者の不勉強による誤りもあろうがご容赦願いたい。

 最後に、第4章をまとめるにあたり多くの資料と有益な助言をいただいた、名古屋大学太陽地球環境研究所の塩川和夫氏に、心から感謝を申し上げたいと思う。

 

 

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<参考文献>

 

1) Saito B.,Kiyama Y.,Takahasi T.,1991,
  Proc.NIPR Symp.Upper Atmos.Phys.,4,79

2) Takahasi T.,Saito B.,Kiyama Y.,1991,
  Proc.NIPR Symp.Upper Atmos.Phys.,4,86

3) 〜 14) 本文中に記載

15) 藤原定家 明月記 1911 (図書刊行会 編・発行) 第一巻 P356

16) アストラルシリーズ7 太陽観測 1983 清水 一郎 (恒星社厚生閣) P227

17) 新訂増補 国史大系 第十三巻 続史愚抄 前篇 (吉川弘文館 刊行) P689

18) 新潟県北蒲原郡史 第三巻 1937 大木 金平 編纂 (蓮池文庫) P610

19) 佐渡年代記 中巻 1974 佐渡郡教育会 (臨川書店) P24

20) 佐渡災異誌 1962 相川測候所 P15

21) 新潟新聞 第二版 明治四十二年 九月二十七日 (五)

22) 朝日新聞 昭和33年2月12日(水) 日刊

23) 新潟日報 昭和33年2月12日(水) 日刊

24) 読売新聞 昭和33年2月13日(木) 日刊

25) 本文中に記載

26) 斎藤文一 1998 パリティ Vol.13 No.3 P12-18

27) Saito B.,1991,Physics of the Airglow and Low Latitude Aurora,
   Bull.Niigata Airglow Observatory No17 (Niigata,Japan) P107-113

28) 理科年表 1991 国立天文台 編(丸善)P784

29) Watanabe.T.,Kikuchi.T.(eds.),1994,
   Low Latitude Aurora,J.Geomag.Geoelec.,46,No.3

30) 名古屋大学 太陽地球環境研究所 ホームページ より <STEPデータベースカタログ>

31) Shiokawa.K.,et al.,1995, Proc.NIPR Symp.Upper Atmos.Phys.,8,17

32) Shiokawa.K.,et al.,1994,J.Geomag.Geoelec.,46,231-252

33) Shiokawa.K.,et al.,1997,J.Geophys.Res.,102,14237

34) 塩川和夫,1995,名古屋大学太陽地球環境研究所 STEL News,8,P3-5

35) 郵政省 通信総合研究所 平磯宇宙環境センターホームページ より <太陽地球環境予報>

 

 

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List of the Low-Latitude Auroras Observed in Japan

 

Yoh Nakazawa

Niigata Science Museum, Section of Astronomy,

2010-15 Meike,Niigata City 950-0941

 

Abstract:

Though Japan is not a suitable place to observe auroras,strong auroral displays were sometimes observed when the solar activity was very high. Not only these "naked-eye auroras" but also weak auroral displays were observed more often by using highly sensitive observational techniques. Low-latitude auroras are rather common phenomena if we include very weak displays.

 

 

注意

 この著作物は、天文月報(1999年 2月号 天球儀 P.94-101:日本天文学会)に掲載されたものであり、著作権は日本天文学会にあります。

 

 

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